〇成り立ち

 明治19年頃、池田の住人であった森田富三郎師が文楽(浄瑠璃語り)の傍ら、金光大神の道を説いたところ、人々が集まるようになり、講社組織が結成されたところから、金光教池田教会がはじまります。

 明治21年3月23日、難波の近藤藤守師の命をうけ、池田の地に赴任された、浜田安太郎師のはたらきにより、神道金光教会池田支所の設立が認可されることになります。

 明治33年、初代教会長となる四方徳次郎氏が、池田に派遣され、今日まで至っております。

 詳しい歴史については、「歴史」のページをご覧ください。

 

〇金光教について

金光教は天地金乃神と生神金光大神とを奉斎しています。

天地金乃神は、人間をはじめ、あらゆるものを生かし育む、大いなる天地のはたらきであり、私たち人間の親神(おやがみ)です。

生神金光大神とは、教祖が天地金乃神から授けられたご神号(しんごう)です。

教祖は、文化11(1814)年、備中国占見村(現・岡山県金光町)にて生まれ、12歳の時、隣村大谷(おおたに)村の農家に養子入りしました。子どものころから信仰心に厚く、神仏参りを大切にして暮らしていました。その後、自身の大病やわが子の死など、相次ぐ苦難の中で、天地金乃神と出会い、いっそう信仰を深めていきました。やがて、46歳の時、天地金乃神から「農業をやめて、難儀な氏子(人間)を取り次ぎ助けてやってくれ」とのお知らせを受け、自宅を広前(参拝者の参り場所)とし、悩みや苦しみを抱えて参拝する人たちを受け入れ、信心して助かる生き方を説き続けました。

金光教本部HPより抜粋(http://web-konkokyo.info/konkokyo/info/index_html)