~実意・丁寧~
※ これは、2024年1月14日の月例霊祭での教話の内容となっています。
令和6年の最初の月例霊祭を、皆さまと共々にお仕えさせていただきました。本年も、昨年に引き続いて、この月例霊祭の御祭りにあたり、お話しをさせていただきたいと思っております。
昨年の令和5年は、教祖様140年のお年柄を頂いて参りました。教祖様が亡くなられてから、140年が経ち、その節目のお年柄でありました。お年柄で言いますと、「天地書附」を教祖様が神様から授かってから150年のお年でもありました。
そして、本年はいわば教祖様141年のお年柄にあたるわけですが、本年も昨年に引き続き、教祖様のご信心を、私たちのところで、頂いていくことが大切かと思います。140年は頂いて、141年は頂かないというわけではなく、お年柄は、そのきっかけにすぎないわけですね。
では、教祖様のご信心は、どういったご信心であっただろうか、と考えますと、いろいろな感じ方や捉え方があるとは思いますし、そこに正解や間違いはないのだろうと思うのですが、私は「実意・丁寧」であったと思います。
教祖様は、川手家に養子に入り、百姓であられてので、まずは農業を「実意・丁寧」に取り組む。そうしていくと、村の人から、その仕事ぶりが認められるといいますか、用水路の番を任せられるようになり、村の中でだんだんとお役目をいただくわけです。
その農業、いわば自分や村の仕事を行いながらも、信仰にあつく、神様に認められ、最終的には、ご神号をいただかれるようになるわけです。
仕事だけでなく、信仰だけでなく、自分だけでなく、家族だけでなく、村の人だけでなく
すべてに対して、「実意・丁寧」であることが、大切であり、そしてとても難しいことだと思います。
仕事だけ一生懸命にして、家庭を疎かにしてしまうと、「家内に不和」が生じてしまいます。
同様に、仕事ばかりしていると、身体を壊してしまいかねません。休むことも大切です。
かといって、休んでばかりいますと、それはそれで、身体が動かなくなったり、働かないとお金がもらえないわけです。
「実意・丁寧」に働き、「実意・丁寧」に遊び、「実意・丁寧」に休む。
「実意・丁寧」に食べ、「実意・丁寧」に飲み、「実意・丁寧」に信心させていただく。
本年も、どうぞ、昨年に、これまでに引き続いて、親先祖の、教祖様の、ご信心を頂いて参りましょう。
本日もご参拝ありがとうございました。