~お役をいただく ご縁をいただく~

 ※ これは、2023年3月の月例霊祭での教話です。

 

 本日も短い時間ですが、私のお話をきいていただきたいと思います。

 この12日(3月12日のこと)で、私が池田教会の教会長のお役をいただいてから6カ月が経ちました。この6カ月の間、いろいろな経験をさせていただきました。

 2月の中旬に、新任教会長研修会という集まりが本部で開催され、新しく教会長となった先生方が集まる機会があり、参加させていただきました。
 その研修会のなかで、懇談と言いますか、自己紹介で、他の先生方が、いろいろな経緯、それぞれのキッカケで教会長になられたお話しをきかせてもらいました。

 私の年齢は、今回参加された先生のなかでは、2番目に若かったのですが、さまざまなお話しをきかせていただき、いろんなことを考えるキッカケをいただいた研修会だったのですが、そこで思ったといいますか、考えさせられたことの一つとして、別の機会にいただいた次の言葉でした。

  「なりたくても、教会長になれない人もいる」

 

 私は、池田教会の教会長のお役をいただきましたが、その役目も、教会長というお役にご縁をいただいたからこそ、教会長にならせてもらえたということです。
 私がいただいた役割には、私とその役割とに、ご縁があり、キッカケをいただいたからこそ、ということなのだと思いました。

 このことは、身近な人、この時期で例えれば、就職や受験、仕事にもいえると思います。

 就職でいえば、内定をもらった会社と、ご縁をいただき、
 受験でいえば、合格できた学校と、ご縁をいただき、
 あと、仕事でいえば、得意先や新しい取引先と、ご縁をいただき、

 また、複数のご縁をいただければ、選ぶことができるわけで、その選択は、長い目でみれば、どのようなご縁につながるかはわからないですが、いただいた縁を大切にしていれば、そう悪いことにはされないと思います。まあ、仕事でいえば、新しい仕事や取引先を選ばないという選択肢もあり、それは、いまある取引先との縁を大切にすると捉えれば、ポジティブな選択にもなります。

 

 「縁」とは、人との縁のイメージがあると思いますが、人に限らず、会社の新入社員や学校の新入生、そして教会長などの「お役」にも「縁」があって、その「お役」をいただいているのだと思います。

 そして、その「お役」に丁寧に取り組むことが、いただいた「ご縁」を大切にすることにつながり、またさらに他の「ご縁」に良いようにつながっていくはずです。

 

 皆様方もどうぞ、自分に今与えられている役割を考えてみて、その役割には、どのような「ご縁」があったかを、私たちにつながっている「ご縁」というものを、ひとつ感じていただきたいと思います。

 本日もご参拝ありがとうございました。