~おかげのなかのこと~

※ これは2026年5月、とある教会より、いただいた大祭教話の御用の抜粋です。

 

 私たちは生活をしていれば、生きていれば、しんどいと思ってしまうこと、嫌だなと思ってしまうことは、どうしても起こってしまいます。
 先日も、お世話になっていた方が急死されました。私より10歳くらい年上だったはずですが、まだまだ若いですよね。どうしてなのかなあと思ってしまいます。

 ですが、これも「おかげのなかのこと」です。

 

 そのほかにも、家のこと、家族のこと、仕事のこと、いろいろと思ってしまうことも多いと思います。
 そんなときにこそ、どうか、神様、みたま様のことを離さないでください。「おかげのなかのこと」として、信心しておかげをいただいてください。

 神様は氏子を捨てることはありません。氏子の方から神を捨ててしまうのです。神様を切ってしまうのです。どうか、その手にちゃんと神様をつかんでください。

 

 池田の先代は、金光教の信心の大切なところとして、「他力本願的信心」と「自力本願的信心」とがあると教えてくださっていました。

 「他力」の「他」とは、神様みたま様のこと。どこまでいっても、神様みたま様に助けてもらうしかないのです。

 では、「自力」とはなにか。自分の力で、自分を助けるというものではありません。「わが心でわが身を救い助けよ」とあります。「わが心」にならないとだめなんです。

 だから、私たちは信心をさせていただくわけです。信心の稽古をさせていただくわけです。

 

 ほっておいたら、日々の嫌なこととかで、忙しくなり、心を忘れるわけです。余裕がなくなるわけです。
 そうなると、氏子の方から、神様を離してしまう。

 そうならんように、稽古をして、努めて自分で、自分を助けていく、自分が助かっていく、そういう働きになっていかないとだめなんです。わがこころの神にめざめ、わたしのなかに神が生まれていかないと。

 

 また、神様みたま様をつかんでいるように思っていても、油断してしまうと、神様ではなく、別のものをつかんでしまっている。立場とかお金とか。我情我欲が出てくる。曇ってくるわけです。
 そうならんように、お広前やお結界で、ご祈念、お取次ぎをいただいて、改めていかないと、氏子からはなしてしまうことになる。

 だから、稽古をする。自力本願が必要なわけです。

 

 私たちは、よいことばかり、目に見えることを、できることを、おかげとしていただく、認識することが多いと思います。一方で、悪いこと、けがや病気はおかげでないようにも思える。

 けれでも、その瞬間、瞬間は、おかげでないようにも見えるかもしれないですけど、みな末のおかげになる。だから、氏子から神をすててはいけない。

 必死で生活して、必死で生きていますが、いまだけを見て、考えるんじゃなくて、ふと息を吐いて、いままでのこと、これからのこと、すべてが「おかげのなかのこと」と思わせていただいて、信心して、稽古して、思わせていただければ、おのずと神様、みたまさまの働きや段取り、願いに気づき、おかげがすでにそこにあることがわかって、神さまが有難くなってくる。

 どうか、「おかげのなかのこと」とする稽古をさせていただきましょう。