~勉強する信心~

 ※ これは、2025年3月の春季霊祭での教話の抜粋です。

 

 ただいまは、皆さまと共々に、春の霊祭(みたままつり)をお仕えさせていただきました。
 ありがとうございます。

 今年は、私の祖父であります三代教会長の3年のお年柄を迎えております。もう3年が経つようです。

 お広前の掲示板や、1年祭の偲び草として作成させていただきました本以外にも、祖父が書き残していますメモがたくさん残っています。
 いつ頃作成されたものかは不明ですが、祖父の信心の内容が確かに残っており、少しずつ目を通しては、いろいろなことを考えさせられております。

 

 メモの一つに、信心の3つの柱の1つとして、「勉強する信心」とありました。これについて、私がいま感じていることをお話したいと思います。

 

 「勉強する」とあります。「なに」を勉強するのだと思いますか。
 私は、「自分自身」・「己」を勉強するのだと考えています。

 

 話は変わりますが、以前、金光教の教師になる修行に行く前、先輩の先生に、「頑張ってきます」と申し上げたところ、次の内容の言葉をいただきました。

「頑張るのは結構なことですが、頑張るには、自分の足元をしっかりしていないと頑張ることはできないと思いますよ。そして、自分の足元とは、いまいる環境や立場であり、それは親や先祖、神様が整えてくださっているものです。ですので、そこをしっかり理解させてもらいましょう」

 

 私たちは、両親から半分ずつの遺伝子を受け取っています。そして、その両親はまたその上の親からというように、先祖から血脈をいただいており、それぞれの質(たち)をいただき、そのなかにいます。
 

 そして、「わたし」とは何かに目を向け、「わたし」とは代々の血脈、質(たち)のなかにいることに気づくこと、知ること、勉強することで、いまの「わたし」の立場、環境、さらには「わたし」にかけられている「願い」というものが見えてくるのだと考えています。
 このことが、わが心が、親先祖、神様に向かっていくはたらきとなるのだと思います。

 

 春と秋のそれぞれのお彼岸の時期に、みたままつりをお仕えさせていただいております。
 どうか、お祭り、参拝をきっかけに、親先祖のことを偲ばせてもらって、本日からまた半年後に向けて、私たちの元気な姿を見ていただき、みたま様の安心を願ってまいりましょう。

 本日は、ご参拝ありがとうございました。